父への想いが溢れる

今回のASKAさんの記事へのコメントが 難しすぎて…

初めてコメント欄から先に読んでしまった( •́દ•̩̥̀ )

もう、コメント欄を読んだら ますます コメントが書けなくなったので 今回の記事に対してのコメントは、諦めてみることにした( •́દ•̩̥̀ )だって、難しすぎる。おバカな私には(笑)

私には 前世とか来世とか 難しい事は 本当に分からない。

ただ、父と母の子供に生まれてこれた事、4人兄弟の末っ子に生まれ みんなから可愛がられた事。幸せに生まれてきたと 思える。

父は 亡くなるまでの7年 と半年、不自由な身体で過ごした。不自由なんて ものじゃなかった。。。

もともと、お酒が大好きな 父で、私が社会人になり働き出した頃には、毎日飲みすぎて昼間も夜も、起きている時間はお酒に溺れていた。 もうアルコール中毒になってしまっていた。誰にも止める事は出来なくて、後から聞いたら、本人はいつでも止める事が出来ると思っていたらしい…。

私の記憶の中の 物心ついたところから 記憶の中の父は お酒が大好きな人だった。両親は自営業をやっていて 母を困らせる父を、3人の兄は 憎んでいたというのが 一番近い表現になるのかな。

私は 父が大好きだった。

優しくて とても静かな人だった。

お酒を飲んでも、そう変わらなかった。

ある日、仕事が終わり 携帯を見ると 母から着信があり、仕事中と分かっているのに着信を残すのは珍しいと思い、胸騒ぎの中で掛け直すと、父が自宅の階段から落ちて 病院に運ばれた。との電話だった。最初に思った率直な気持ちは「自宅で良かった…」だった。

お酒を昼間から飲んでいる日々が続いていた父を ずっと 心配しながらの生活だった為、階段から落ちたと聞いて 自宅での事、心のどこかで 少しホッとしたのだ。例えば どこかの駅だとか、家の前の大きな公園だとか 人に迷惑をかける場所は たくさんあるから、自宅と聞いて ホッとした。

病院に着いて 父が真っ赤な顔で 「痛い痛い」と、騒いでいた。とてもお酒臭かった。それからは 毎日、仕事が終わると 父の病院に通う日々だった。

階段から落ちた時に、頚椎を損傷し、両手 下半身が麻痺した。最初の数週間は、 悲惨な状態だった。父のベッドのシーツは 破れていた。本人は覚えていない。看護婦さんに 怒鳴り散らしながら 大変な迷惑をかけていたらしい…。頚椎損傷で 体は動かないはず…高熱もあり、お酒が身体から抜けていく過程だったのか、常にもうろうと夢なのか現実なのか 分からない状態だった。動かないながらにも、シーツを破くような動きをしたらしい…

うわごとが 怖くなるくらい ひどかった。お見舞いに行って、最初の一言が「さっき、逃げろって 言っただろう‼︎ とにかく見つかるとマズイから、先に家に帰ってなさい。お母さんが来るまで ここにいるから、お前は家に帰りなさい。」

最初は「その体で、どうやって逃げるのよ‼︎とか 冗談ぽく笑ってみせた… 父は真剣だ。

父のあまりの剣幕に 怖くて 病院を飛び出したけど、すぐに戻った。まだ さっきの続きを言ってる。興奮していたので 私はいない方がいいと思い、母と交代した。

母が どう説得したのか 分からない。次の日の父は、いつものように優しく 「昨日は夢見てた。人の車を黙って借りて どうのこうの〜〜」という、事だった。とにかく不安で不安で仕方なくて 毎日、夢なのか現実なのか 分からない状態だったように思う。

1ヶ月もすると、お酒は完全に抜けて 高熱も 時々になり 状態は落ち着いた。自宅は2階、階段を登らないといけない。退院なんて どう考えても無理だった。

静かで 真面目な父を 毎日毎日励ました。作り笑いでも 笑って欲しかった。たくさんの話しをした。とにかく毎日 父を独り占めしてるようで 嬉しかった。

リハビリの病院に転院して 装具をつけて なんとか 食事できるところまで 、そして 人によって 立たせて、階段を登るという事が出来るようになった。誰かは 支えなければ 到底無理だったけど 全く動かなかった時に比べれば すごい事だった。

自宅に戻る事が出来たけど、私はその数年後 栃木に 越してきた、今結婚している夫の夢の手伝いをする為。迷いは ずっとあった。父と離れるのか嫌だった。

最後は 癌で亡くなった。母は 7年半の 介護生活を終えた。 その父の命日の5日後に 私のお腹に 子供がやってきてくれた。ずっと望んでいた子供だった。

長男が生まれ、産後の手伝いに 母が栃木まで駆けつけてくれて のんびりとした時間を過ごした。この時も自営業をしていた母が 店を閉めて、駆けつけてくれたので とても申し訳ないな、という気持ちと「お父さんが生きてたら、こうして栃木に来ることも出来なかったよね‼︎」笑顔で話した。その母の笑顔は 本当の気持ちだったと思う。本当に 介護生活は 大変だったと思う。この時、母は不調を訴えていた。でも大丈夫というので そこまで気にしてなかった。ここから、数ヶ月後 この時から始まっていた不調が 癌だったと分かり、結局 父が亡くなった2年後に 母も亡くなった。その年の冬には長女が産まれた。うちの子供たちは、私の両親の生まれ変わりかもしれないなぁと よく考える事がある。

「お父さんの事を 大好きでいてくれて、ありがとうね」と、母に言われた事がある。

あたりまえに 大好きだったから、急に言われて驚いたのを覚えてる。

今でも、父に会いたいと思う。もちろん母にも会いたい。でも、無性に父に会いたいと思う。

私の子育てを どこかで見てくれているかな。きっと 応援してくれてるだろうな。